ダウンタウンとSMAPの終わり。あるいは甦るハイデガー

コラム・エッセイ

ダウンタウンが終わり、SMAPが終わり、ついでのようにTOKIOも終わり、それと入れ替わるように参政党が始まったことは、偶然ではなく、時代の運命であるように思えます。

三島由紀夫の自決を扱ったドキュメンタリー新書を読みながら、ふと考えました。

私は自分がリベラルであることを前置きしたうえで申し上げますが、三島由紀夫が望んだ愛国主義が、彼の理想とは異なるかたちで国会に議席を得たという事実には、言いようのない無力感を覚えます。

同じような感覚には、きっと、冷戦以降に左派の支柱の一つであったエコロジストたちも、襲われたのではないでしょうか。

右派は保守を掲げながらも、環境保全には関心を示さない。1990年代にチャールズ・テイラーが指摘した問題意識は、保守思想と環境思想が混じり合うことで、結果的に残念な方向に向かうとは予想していなかったように思います。その「残念な結果」とは、言うまでもなく、陰謀論に基づいた排外主義です。

同じ問題意識に立ちつつ、少し別の話題を紹介したいと思います。たとえば「オーガニックが健康的である」といった考えは、実際には科学的根拠に乏しい、根も葉もない話です。それを理解したうえで「でもマーケティングとして成功しているならいいじゃないか」と考える人もいます。つまり、「科学的根拠はないけれど、みんなの共感を得られて、利益につながるなら構わない」という考え方です。私自身も、それには一理あるかもしれない、と思っていました。

しかし、2025年7月20日の参院選を経た今となっては、科学的根拠を軽視してオーガニックを推進する姿勢は、極めて愚かであると断言せざるを得ません。

もちろん、「科学的根拠とは何か」という議論自体は必要です。私も現在、統計学の個人レッスンを開講しながら、データ分析というものがいかに脆弱であり、欺瞞の温床となりうるか、そしてそれにもかかわらず科学的根拠の柱として位置づけられていることの困難さを痛感しています。

20世紀初頭における実証主義の危機は、「生の哲学」や実存主義へと結実しました。後年、ナチスへの傾倒により糾弾されることとなったハイデガーが著した未完の主著『存在と時間』が発表されたのは1927年であり、まもなく100年を迎えます。

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