ようやく、自分なりのインプットとアウトプットのバランスが見えてきた (2024 年 3 月 30 日)

コラム・エッセイ

自分に合っている考え方として。

インプットとアウトプットは全く別物として考える。

今まで、インプットしたものをアウトプットしてから、次のインプットをしようと思っていました。思っていたというか、無意識にそういうふうな考え方になっていたというか。

しかしこれでは、いつまでたってもインプットが進まないんですよね。

よってアウトプットも進まない。

要するに両方とも倒れ。

両方とも丁寧に取り組もうとして、けっきょく両方ともあまり進まない。

その解決策として、今日、ふと思いついたのが、アウトプットできたどうかは別にして、とにかくインプットをどんどん進めるべき、ていうこと。

例えば A についてのインプットが終わったら、A をアウトプットしてから、B へ進むのではない。A についてのインプットが終わったら、Aについてアウトプットはするのだが、A についてのアウトプットが終わらないうちに、B、Cどんどんインプットを進めるべきなのでした。

しかし、A についてのアウトプットについては、しっかり完成させなければいけないとも思うのだけれど。これはどうだろうか。まだ判断に迷うけど、あまり未完のプロジェクトがポコポコ残ってしまうのは、自分の精神衛生上、良くないし。

とにかく、インプットしたものは、全部アウトプットしなければいけないという、何かしら脅迫観念的なものはもう捨てて。今まであったから。そういうのが。それが誤った脅迫観念であることがわかったし。インプットしたものが全て積読ならぬ「積アウトプット」であるかのように捉えてしまうのは錯覚だと。

ということで、基本インプットをどんどん進めつつ。アウトプットはアウトプットで別志向というのでしょうか。インプットしたものをすべてアウトプットできなくても、気にせずに、どんどん今のアウトプットをスピード感持って完成させるべきだし、クオリティはそこそこで。インプットとアウトプットの帰りが起きても、気にせずに、インプットのほうはインプットの方で、スピード感を持ってどんどん進めるべき。

こういった考え方に気づけたのは、おそらく生成 AI = ChatGPT のおかげ。ChatGPT でアウトプットが爆速になったので、インプットとアウトプットを切り分けて考えられるようになった。どうしてアウトプットが倍速になったから、インプットとアウトプットを切り分けて考えられるようになったのか。それはよくわからないのですが。けどもしかして、アウトプットにそんなに労力を割かなくてもよくなったからかもしれません。

私はとことんインプット型の人間なんだと思います。それはもう南方熊楠リスペクトで、とにかく偏執的に、自分が気になるものは全て自分の身の回りに所有しておきたいみたいな。そういうインプット癖みたいなところがあるんですね。

ただインプット癖は、おそらく知識に関してだけで、だから知識のアウトプットと言うのはそこまでもしかして興味ないのかもしれない。どうなんだろう。その辺はまだ自己分析がそこまでできてないのですが。音楽というかアートについては、私はアウトプット一辺倒かもしれません。インプットというか反復練習が苦手なので。最近は反復練習はするようになりましたが。

なんていうか、インプットが好き。とことん好き。何でも好き。けどアウトプットには好き嫌いがある。退屈なアウトプットはしたくない。退屈なアウトプットは ChatGPT に任せて、好きなアウトプットだけで生きていきたいですね。

そしてそういう未来が近づいてきている、とも思います。

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