以下の記事は、自分で書いた文章を ChatGPT にブログ記事としてブラッシュアップさせたものです。どちらが「好み」か、教えていただけるとうれしいです。
約1年間、ChatGPTを中心にAIを使い倒してきました。このブログ記事もいくつかChatGPTに助けてもらいましたが、気づいたことがあります。それは、「私は文章を書くのが好きで、ChatGPTに頼りすぎるのは自分には合わない」ということです。
もちろん、職務上の文書作成や効率化が求められる業務では、AIの力を借りて早く片付けるのは大賛成です。しかし、自分が楽しみながら書く日記的なブログ記事や音楽批評のような文章は、自分で考え、手を動かして書く方が断然楽しいと感じます。
AIと自分の役割を分ける必要性
AIに任せるべき文章と、自分が楽しんで書く文章。この使い分けが重要だと痛感しています。
文章を書く行為には、身体を動かすことと似た快楽があります。それは、脳を使うことや指先の動きそのものが心地よさを生むからです。そして、自分の頭で考え抜いて結論を出すときの快感も、書く行為と密接に結びついています。
これは、車で移動するよりも、自分の足で走ることを選ぶようなもの。効率性を追求すれば車の方が早いですが、わざわざ足を動かすことには、それ自体の楽しさや満足感があるのです。
書かない苦しみがじわじわと迫る
AI、特にChatGPTを使うことは一種の快楽です。膨大な人類の集合知をもとに、自分では思いつかなかった答えを生み出してくれる様子を眺めるのは楽しいものです。しかし、その快楽は短期的なもの。長期的には「もっと自分で考えればよかった」と後悔するかもしれません。
実際、最近の私はブログを書くとき、箇条書きのアイデアをChatGPTに投げて「仕上げて」と頼むことが増えました。その結果、そこそこの記事が簡単に出来上がり、アクセスも集まります。でも、その過程で自分の文章作成能力が衰えていくのではないかと危惧しています。
ChatGPTを使いこなす力がもたらすもの
とはいえ、ChatGPTを使い込んだことで得られた能力もあります。それが「的確に指示する力」です。AIに期待通りの回答を出してもらうためには、プロンプトを工夫する必要があります。そのプロセスを通じて、指示力や質問力が磨かれるのは確かです。
人間相手なら曖昧な指示でも何とか通じることがありますが、AIの場合はそうはいきません。細かいニュアンスや求める結果を正確に伝えるためには、言葉を選び、ロジックを考えるスキルが求められます。このスキルは、今後どんな場面でも活かせる武器になるでしょう。
AIとの付き合い方を再考する
ChatGPTを活用することで効率化や新しい視点を得るのは素晴らしいことです。しかし、それと同時に、自分で考え、書く楽しさを忘れないようにすることも大切です。AIに頼りすぎることで後悔することがないよう、AIと自分の役割を明確に分け、書くことの快楽を大切にしていきたいと思います。
まとめ
AIは強力なツールであり、効率化や新しい発見に役立ちます。しかし、書くことそのものが持つ楽しさや快楽を失わないためには、使いどころを見極めることが必要です。文章作成能力を維持しながら、AIを適切に使いこなすバランスを見つけることが、これからの時代を生きる鍵になるのではないでしょうか。
コメント