最近、「大卒文系の就職が厳しくなっている」という話を見ました。
大手企業の新卒採用で、文系の採用枠が減っている。インフラ、メーカー、金融といった、かつて文系学生にとって有力だった就職先でも、採用が理系寄り、専門職寄りになっている。営業職であっても、ただ人当たりが良いとか、体力があるとか、コミュニケーション能力があるとか、それだけでは厳しくなっている。商品の技術的な理解や、データを扱う力、語学力、専門性のようなものが求められるようになっている。ざっくり言えば、そういう話です。
企業側の理屈は分かります。今の時代、理系人材やIT人材が必要なのは当然ですし、語学に強い人、法律や会計に強い人、経営の知識がある人が重宝されるのも分かります。昔ながらの「文系総合職」を大量に採用して、入社してから社内で育てる、というモデルが成り立ちにくくなっているのも、なんとなく理解できます。
ただ、それでも私は、社会全体としてそれはかなりもったいないことなのではないかと思いました。人文系の人だって、社会の中で、会社の中で、企業の中で、普通に役に立ちます。これはきれいごとではなく、実感としてそう思います。哲学科出身の私が言うのだから、これは間違いありません。
私も昔は「哲学なんて役に立たない」と思っていた
とはいえ、私も最初からそんなふうに思っていたわけではありません。哲学科を卒業してすぐの頃は、むしろ逆でした。正直に言えば、「哲学なんて役に立たない」と思っていました。
私は、ものすごく有名な大学を出たわけではありません。中途半端な大学で、中途半端に哲学を勉強して、資本主義社会に不満を漏らし、空想的に社会主義に憧れていた時期もありました。その一方で、地元では高卒や専門学校卒の同級生たちが、現場でバリバリ働いて、私よりもずっとしっかり稼いでいる。言葉を選ばずに言えば、そこには劣等感がありました。
新卒の頃の私は、経営学を学んだ人、法律を学んだ人、理系の人たちに比べて、自分にはすぐに使えるビジネススキルがないように感じていました。会計の知識があるわけでもない。法律に詳しいわけでもない。理系の専門知識があるわけでもない。だから、「哲学科なんて行くんじゃなかった」と思ったこともあります。
それに、周りの大人たちも、けっこう平気で「哲学なんて役に立たない」と言うわけです。会社の先輩だけではなく、別の大学の哲学科の先生のような人まで、そういうことを言ったりする。そうなると、こちらとしても、「やっぱりそうなのかな」と思ってしまう。
でも、社会に出て10年以上経って、最近になってようやく分かってきました。哲学科で身につけた力は、今の仕事にかなり役に立っています。
役に立っているのは、哲学史の知識そのものではない
もちろん、プラトンやアリストテレスについての知識が、簿記の仕訳のように、そのまま業務で使えているわけではありません。「この仕事はカントで解決できます」とか、「この補助金申請にはハイデガーが効きます」とか、そういう話ではありません。
哲学史の知識そのものが、会社の仕事に直接役立つ場面は、正直あまりありません。少なくとも、私の仕事ではそうです。プラトンのイデア論を知っているから請求書処理が速くなるわけではありませんし、アリストテレスの形而上学を読んでいたから現場の作業時間を計算できるわけでもありません。
では、何が役に立っているのか。私の場合、それは人文学を学ぶ中で培った、資料収集力と考察力です。
この言い方だけだと、少し抽象的に聞こえるかもしれません。ただ、実際に会社の中で仕事をしていると、「資料を集める力」と「自分の頭で考える力」は、かなり実用的な能力です。しかも、意外と誰でもできるわけではありません。
補助金申請は、かなり人文学的な仕事である
たとえば、補助金申請の仕事があります。補助金を申請するには、まず役所が公表している公募要領や募集要項を読み込まなければいけません。そこには、対象になる事業、対象になる経費、申請できる事業者の条件、必要書類、提出期限、審査の観点などが細かく書かれています。
これを読んで、自社の状況に当てはめる必要があります。この設備は対象になるのか。この経費は補助対象に入るのか。このタイミングで発注していいのか。どの資料を添付しなければいけないのか。様式にはどこまで具体的に書かなければならないのか。そういうことを、一つひとつ読み解いていきます。
さらに、申請に必要な資料が社内にそろっていないこともあります。その場合は、自分で作らなければいけません。バックオフィスの立場で補助金申請をしていると、現場の人に聞かなければ分からないことも多いです。現場では何に困っているのか。どの作業に時間がかかっているのか。どの機械を導入したいのか。その機械を入れると、どの作業がどれくらい改善されるのか。
場合によっては、実際に現場に行って、ストップウォッチを持って作業時間を測ることもあります。導入前の作業時間を測り、導入後にどれくらい短縮されるのかを考え、労働効率性を計算する。もちろん私は哲学科出身なので、大学時代に工場の生産性や労働効率について専門的に学んだわけではありません。それでも、分からないことを調べ、現場の人に聞き、数字を集め、役所に提出できる書類にまとめる。
これは一見すると、ただの事務作業です。しかし、実際にはかなり高度な読解と整理の仕事です。公募要領を読み、必要な情報を集め、足りない資料を作り、現場の言葉を制度の言葉に置き換え、指定された様式にまとめる。こういう作業は、哲学科でやっていたこととかなり似ています。
難しい文献を読む。分からないところを調べる。自分の頭で考える。考えたことを論文としてまとめる。20代前半にそういう訓練を一生懸命やっていたからこそ、今こういう仕事をあまり苦にせずできているのだと思います。
人文学で鍛えられるのは、「よく分からないもの」を読む力である
哲学科や人文学で読む文章は、そもそも何が書いてあるのかよく分からないことが多いです。ハイデガーなどを読んでいると、本当に何を言っているのか分からない。だから読むわけです。分からないから、何度も読み、注釈を読み、背景を調べ、自分なりに考える。
自然科学の論文とは、ここが少し違います。私は哲学専攻で修士号を取ったあと、農学部でも勉強しました。農学部では、組織培養という、植物の細胞に薬品をかけて再生させる実験をしていました。そこでも、英語の論文を読み、まだ試されていない薬品を探し、実験計画を立てるということをしていました。だから、理系でも資料収集力や考察力が必要なのは間違いありません。
ただ、自然科学の論文では、何をしたのか分からないというのは基本的に困ります。薬品Aを使ったのか、薬品Bを使ったのか分からない。実験条件が分からない。手順が分からない。そういう論文は、再現性の観点から問題があります。自然科学が対象にしているのは、よく分からない自然です。だからこそ、論文の記述はなるべく明確でなければならない。
一方で、哲学や人文学では、相手にしているテキストそのものが分かりにくいことがあります。ハイデガーが何を言っているのか分からない。ニーチェが何を言っているのか分からない。キルケゴールが何を問題にしているのか分からない。だからこそ、その文章を読み、解釈し、背景を調べ、複数の読み方を比較しながら、自分なりに意味を取り出していく。
この「よく分からないものを、よく分からないで終わらせない力」は、人文学でかなり鍛えられると思います。
会社の中にも、よく分からない文章は山ほどある
この力は、会社の中でもかなり役に立ちます。なぜなら、会社の中にも「よく分からない文章」や「よく分からない指示」が山ほどあるからです。
たとえば、上司から業務命令のメールが来る。しかし、日本語として少し破綻していて、何をしてほしいのかよく分からない。直接聞いても、やっぱりよく分からない。話をしていても、要点がつかみにくい。こういうことは、会社の中で普通にあります。
そこで、「上司のメールの書き方が悪い」で終わらせることもできます。実際、悪いのかもしれません。ただ、それだけでは仕事は進みません。必要なのは、その分かりにくい文章を粘り強く読み、相手の意図を確認し、周囲の状況も踏まえながら、「つまり、これはこういう業務命令なのだ」と整理する力です。
そして、それを自分だけでなく、周りの人にも分かる形にする。曖昧な指示を、共通認識に変える。現場の人の感覚的な言葉を、申請書や報告書に書ける言葉に変える。役所の硬い文章を、社内で理解できる言葉に変える。こういうことができる人は、会社の中でかなり重要です。
これは、かなり人文学的な力だと思います。人文学で培った読解力や解釈力は、こういう場面でかなり直接的に役に立ちます。
人文学の力は、抽象的な教養ではなく、かなり実務的な能力である
人文系で身につく力というと、「教養」とか「批判的思考」とか「多様な価値観」といった言葉で語られることが多いです。それはそれで間違ってはいないのですが、私の実感としては、もっと具体的です。
人文学で鍛えられるのは、資料を集める力です。難しい文章を読む力です。意味の分からないものを粘り強く解釈する力です。相手の言っていることを整理する力です。自分の頭で考える力です。考えたことを文書にまとめる力です。
これらは、会社の中で普通に使います。補助金申請でも使います。社内資料の作成でも使います。現場ヒアリングでも使います。上司の曖昧な指示を整理するときにも使います。役所や取引先に提出する文書を書くときにも使います。
つまり、人文学の力は、「社会に役立つ」というような大きな話以前に、まさに会社の中で役に立つのです。しかも、かなり地味で、かなり現実的な形で役に立ちます。
哲学とビジネスは、思ったより遠くない
私が学生だった頃、哲学科にはどこか「金儲けなんてとんでもない」という空気がありました。哲学科出身たるもの、資本主義に距離を置くべきだ。会社やビジネスの論理に飲み込まれてはいけない。そんな雰囲気があったように思います。
もちろん、哲学には資本主義を批判する伝統があります。お金や市場や欲望を疑う視点もあります。それ自体は大事です。ただ、だからといって、哲学とビジネスが無関係だとは思いません。
そもそも、タレスには、天候を予測してオリーブ搾油機を押さえ、利益を上げたという有名な逸話があります。また、ドラッカーがキルケゴールを読んでいたという話を知ったとき、私は、ビジネスと哲学は思ったよりも深いところでつながっているのだと感じました。
哲学科出身だから、会社や資本主義や金儲けから距離を取らなければならない。そういう考え方は、少し的外れだと思います。哲学的な知識がそのままビジネスに役立つわけではないかもしれません。しかし、哲学的な営みを通じて身につけた力は、ビジネスの現場で十分に役に立ちます。
哲学とは、哲学史の暗記だけではない
そもそも、哲学とは哲学史を勉強することだけではありません。もちろん、哲学史を学ぶことは大切です。プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ヘーゲル、キルケゴール、ニーチェ、ハイデガー。そういう人たちの思想を学ぶことには意味があります。
ただ、哲学の本質は、過去の哲学者の名前や主張を暗記することだけではないはずです。物事の本質を考えること。言葉の意味を問い直すこと。前提を疑うこと。分からないものを分からないままにせず、自分の頭で考え続けること。そういう営み自体が哲学なのだと思います。
そう考えると、補助金申請のために資料を集め、現場にヒアリングし、役所の指定した様式にまとめていく作業も、哲学的営みとまでは言いませんが、それに近いものはあります。少なくとも、そこで必要になる力は、哲学科で鍛えられた力とかなり重なっています。
哲学科で身につけた力は、あとから効いてくる
哲学科を出ただけで、すぐ会社の役に立つとは限りません。社会人1年目、2年目の段階では、理系の知識、法律の知識、経営学の知識、会計の知識の方が、すぐに役立つ場面は多いと思います。そこは認めた方がいいです。私も、新卒の頃はかなり劣等感がありました。
ただ、中長期的に見ると、人文学で培った力はかなり効いてきます。難しい本を読む。意味が分からなければ調べる。自分の頭で考える。文章にまとめる。この訓練を4年間、あるいはそれ以上、真面目に積んだ人は、社会に出てからも新しい知識を吸収しやすい。
ビジネススキルを身につけるための本も、かなり速く読めるようになります。なぜなら、もっと難しい文章を読んできたからです。哲学科で一生懸命本を読んで、自分の頭で考える訓練を積んだ人は、その後に必要になる知識も吸収できる。これは、かなり大きな強みです。
もちろん、哲学科を出ただけで会社の役に立つわけではありません。ただ、それはどの学部でも同じです。大事なのは、その学問の中でどれだけ真剣に訓練を積んだかです。人文学で一生懸命本を読み、自分の頭で考え、文章を書いてきた人は、会社の中でかなり役に立ちます。
人文系を減らすのは、社会全体の損失だと思う
だから、大手企業が人文系の採用を減らしているという話を見ると、私はかなりもったいないと思います。もちろん、企業が専門性を求めるのは分かります。理系人材が必要なのも分かります。IT人材が必要なのも分かります。語学や会計や法律の知識が重要なのも分かります。
しかし、会社の中には、専門知識だけでは解決できない仕事がたくさんあります。曖昧な指示を整理する。複雑な情報を読み解く。現場の声を文書にする。役所の要件に合わせて資料を作る。意味の分からない状況を、意味のある形にまとめる。異なる立場の人たちの言葉をつなぐ。こういう仕事には、人文系で鍛えられる力がかなり役に立ちます。
人文系は役に立たないのではありません。すぐに役立ち方が見えにくいだけです。そして、役立ち方が見えにくいからこそ、企業がそこを軽視してしまうのは危険だと思います。
文系就職難のニュースを見て、私はそんなことを考えました。人文系の人だって、会社の中で全然役に立ちます。哲学科出身の私が言うのだから、これは間違いありません。

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